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中間小説とは


 中間小説の内実は不明である。「純文学」と「大衆文学」の中間に位置するというように、中間という語が純文学と大衆文学の距離的メタファーとして採用され、中間小説そのものの実在的な定義が為されていないのである。また、純文学も大衆文学も小説の内容や結構に対する一つの傾向の名称とするならば、中間小説も小説の一傾向だと考えられる。そのため同時代的認識においては、「純文学の作家が、調子をおろしてかいた小説」(荒正人「中間小説と免罪符」(『文學界』1955・3))と捉えられていた。しかしここでも「調子をおろして」と、作家側の主観的感想にその本質を求めるだけで、中間小説の実体は判然としない。だが実体が判然としないにも関わらず、中間小説という自律的な場の形成が、戦後の純文学や大衆文学の価値を大きく転換させた。そしてその場は中間小説誌という雑誌メディアによって形成されたものであった。



研究の動向および本研究の位置づけ


 中間小説に関する先行言説は少なくなく、特に同時代批評は盛んであった。だが内実は上記のように、実在的な定義が為されない、論者各自の主観に委ねられたものといえた。その中で、中間小説に関する新たなアプローチを展開して見せたのが、前田愛であった。前田は同時代の社会変遷、読者の変容も視座に入れるスタンスを示した。このスタンスはまだ現在においても有効である。また中間小説の問題は、戦前の「芸術大衆化」運動への山本芳明氏の研究(『文学者はつくられる』ひつじ書房 2000・12)や明治期の文学場の形成を見た紅野謙介氏の研究(『投機としての文学 活字・懸賞・メディア』新曜社 2003・3)から透かし見えるものも多い。戦前の同ベクトルの運動を対象とした研究を参照にすることで戦前と戦後の接続を図ることも可能となる。さらに佐藤卓己氏が読書調査などの資料を用い具体的な読者像を浮かび上がらせた『キングの時代』(岩波書店 2002・9)の方法は、中間小説誌の研究にも有効である。本研究では上記研究の視座を取り入れつつ、「言説」研究を行うものである。それにより資本によって形成された「文学場」としての中間小説、すなわち中間小説を「現象」として捉えることを目的とする。そのために中間小説誌全体の見取り図を構築するものである。


  
                                                

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